
はじめまして☆この記事書いてるとこたんです!
- ここでは私が「背景美術専門」の絵描きフリーランスの在宅ワーカーになった経緯を時系列を追って書いていこうと思います。
- 私の世渡り戦略を公開していきます。
- こういう特性が自分にもあるなぁという方には何かしら参考になるかもしれません。
お絵描きはただ好きだっただけ【幼稚園時代】
1986年2月15日生まれのおおよそ愛知県育ち
親が転勤族だったため生まれは神奈川→愛知の豊田→愛知の岡崎→タイのバンコク→愛知の岡崎と転々としています。
子どものころから家では超お喋り、学校では全然喋れないという不思議な特性を持っていました。
- 転園を一度経験、園が変わったことでみんなは茶色のズボン、私だけ紺色。それが恥ずかしくて気にしていた(もちろん親には言えてない)
- 家の中で超お喋りでうるさいが、園でみんなが集まっている時だけは喋れず無表情
- 家の中での遊びは折り紙・お絵描き・レゴ・ぷくぷくペンにもハマっていた
- 幼稚園で黙々と一人で一輪車の練習をしていた
- 負けず嫌いで逆上がりの練習をかなりしていた
- 運動はできる方だった
- 人に興味がかなりあったので特定の仲良しさんを作るのは得意だった
- 一度病気で入院している
- この頃の将来の夢は看護婦さんと書いていた
- となりのトトロのビデオを観ていた
- 習い事はヤマハ音楽教室(誰かと喋ったことはもちろんない)
転園後しばらくしてから家でスカパーが見られるようになり、キッズステーションをよく観ていました。
当時、結構白黒アニメも流れていて、私は観てはいましたが、

あんまりおもしろくないなぁ
と思っていました。
(リボンの騎士とか鉄腕アトム、黄金バット等)
逆にアニメでも色がついていてカラフルなものにはとても興味を持っていました。(アンパンマン等)
色塗りなんかも好きでぬり絵をすごく丁寧に塗っては満足する、という特性もありました。
私は絵描き屋さんになるんだ!【小1~小4時代】
私は小学校1年の秋に転校をしました。
タイのバンコク日本人学校に転校しています。
そこでは約3年半学校で一言も誰かとお喋りしたことがありません。
(そうしたくてそうしていたわけではありません。どうしても声を発することができなかったのです。)
しかし、家に帰ると一変して、超お喋りでした。
(この状態を場面緘黙症と言うそうです)
当時マンション住まいだったのですが、同じマンションに同学年の子が日本から引越ししてきたと耳にすれば、早々にその子の住む部屋まで訪れ、

とこたんと友達になろう~!
と言いに押しかけるほど私は人が好きだったので、
自宅で遊ぶ友達は常にいて、学校以外でペラペラお喋りしてました。笑
- 数の概念がわからなくて算数が理解不能
- 学校で自己表現は一切なし
- 教科書や歌のテスト等は決まった台本なので発声できた
- 学校では毎日図書室に本を借りに行き、教室で本を読むことで時間をつぶしていた
- 本は学校の怪談・手品の本・こまったさんシリーズ・かいけつゾロリが好きだった
- タイ人の先生から水泳・ピアノ・タイダンスを習っていたが先生とはお喋りしていない
- 家にタイ人のお手伝いさんがいたが、そのお姉さんと仲良しで懐いていた
- インターナショナルスクール通いのマンションの友達と遊ぶとよく家の中に中国人の子もいて英語で喋っている中で適当に遊んでいた(私は日本語しか喋れない)
- セーラームーンのビデオを借りて観ることにハマっていた
- 漫画あさりちゃんを集めていた
- マンションの敷地内のタイ人のガードマンさんに遊んでもらおうとうるさく絡んでいた
- 学校に誰一人として友達がいない分、帰ってからイキイキしていた
- 家で遊ぶ人がいない時は折り紙・レゴ・逆立ちの練習・お絵描きをしていた
- 小1で絵日記を提出したら先生からこの絵は自分で書いたの?と親が描いたと疑われた

ハマってた作品たち一覧です!
学校の怪談読んでた人いたら仲良くなれそう。笑
家にいる時は鏡にうつった自分の顔を真剣に紙に書き写していくことにもハマっていました。(小2の時)

リアルな人間の顔をどうやったらそのまま紙に描きうつせるんだ!!って小2の時点で悩んでました。笑
アニメではセーラームーンに特にハマっており、カラーフィルムコミックもその当時に買ってもらい、セーラムーンの模写をよくしていたものです。
(私は色がついているものに特に魅力を感じていました。だからアニメが好きだった)
とにかく小さい頃から見たものをそのまま紙に書きうつすにはどうしたらいいのか!?
と暇な時は模写に時間を割いていました。
そんなことから将来の夢は絵描き屋さんと言っていたことが多かったです。
私は絵描き屋さんになるんだ!【小5~小6時代】
日本の学校に転校した際、元々小1の途中まで通っていた学校だったのでその当時仲の良かった子がいるクラスに最初は転入させてもらえました。
タイ時代に学校で誰とも喋れなかったことに危機感を覚えており、これはチャンスだ!
と、最初はなんとか勇気を出して声を出すことに成功しています。
しかし、タイの海で集めた貝殻をお友達に配っていたら、特定の目立つタイプの女子に目を付けられ、嫌がらせをされるようになりました。
そこから私は「目立つといじめられる!」と察知したので再び喋れなくなっていきました。
しかし前回とは違い、少しだけ進歩して、女子生徒とだけは話しかけられたら返事ができました。
逆にその中途半端さがいじめの原因にもなってしまっています。
(バンコクの学校ではいじめに遭ってない)
- 中途半端に学校で喋ることができた
- 相変わらず家ではお喋り
- 5年生の頃に図工専門の先生に絵がうまいと注目されるようになった
- そのせいで授業中に指名され、発言を求められることになった
- しかし一言も答えることができず黙ったまま立っていたら、クラスメイト全員に向かって「おい、こいつと喋ったことあるやついるか?」と笑いものにされる。「そういえばないな」の合唱となり、それがきっかけで以降男子生徒からいじめを受ける羽目に
- 反応をさせようと給食の時間オレンジの汁を目に入れられる等
- 図工の先生からもいじめられるようになった(反応しないので回れ右の練習をさせられる等)
- またまたマンション住まいで同じマンションの同学年の子が家での親友となった
- 家から帰るとキッズステーションとアニマックス漬けでアニメを観ていた
- 一輪車の後ろこぎの練習を親友と毎日していた
- バドミントンを親友と何回ラリーが続くか毎日チャレンジしていた
- 毎日アニメを観ることと親友と遊ぶことが生きがいで日々過ごしていた
- 習い事はエレクトーンだけ(8年習っていたが一言も先生と会話したことがない)
- 卒業文集の将来の夢は絵描きと書いていた
このころは早く20歳にならないかな。と辛い日々が変わっているであろう未来を想像して特に何になろう!と強く思うことはなかったです。
幼稚園時代~小学校時代のまとめから在宅ワーカーの素質を考察
- 好奇心旺盛(特に人に対して)
- 危険にとても敏感で防御型
- 運動が好き
- 絵は入賞は欠かさない程度のレベルで突出しているわけではない
- 自分の技術向上が常に目的で興味があることしか絶対にやらない
- これはこうに違いない!という思い込みが激しく強迫観念じみたところがある
- 沢山の人がいるといつも通りの自分を発揮できない
- 基本的には不安感が強く絶望感がすごい
不安感+好奇心+自分のレベルアップにしか興味がない=ひきこもりの在宅ワーカー(ただしリスクは取らない)
私は本来の性格的にも今の働き方がとても合っているなぁと子供時代を振り返ってもそう思います。
しかしそもそも不安だったら独立してフリーランスになんてなれないんじゃないか?
と学生時代の私だったら絶対に思っていることでしょう。
これからどうやってフリーの在宅ワーカーになっていったのか続きで書いていこうと思います。
今回はここまで。
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