こんにちは!フリーランスの在宅ワーカー歴11年目のとこたんです!
近年、コロナにより在宅勤務が増えてきましたね。
ようやくとこたんの時代がやってきた!!!笑
なんて思って仲間が増えたことに喜びを感じつつ、
過去私が在宅勤務で通ってきた負のメンタル突入の道をたどる人も多くなるのではないか?
とぼんやりと考えたりする日々です。
在宅勤務も最初の1年、2年はストレスもなく、もう会社に行かないでよくない?
と思えるほど快適な生活を過ごせるかもしれません。
しかし、それは日々日光を浴び、運動をし、睡眠にまともな食生活、人と会話をする機会が全部そろってこそ保たれるものだったのです・・・。
私は今では「心身の健康を第一に!!365日筋トレと自炊が習慣!!」
なんていうくらい健康にうるさい鳥になっていますが、数年前まで全くそんなことはありませんでした。もちろん運動習慣なんてのもありませんでした・・・。
今回は会社員時代5年を経て、フリーランスの在宅ワーカーになって11年目のとこたんが実際体験した運動しなかったことで起きた衰弱伝説をお話しししながら、どうして心身健康に目覚めたのか記事にまとめようと思います。
まだ若いし運動しなくても大丈夫っしょ。
自分、痩せてるし太ってないから運動しなくてもいいっしょ。
運動したほうがいいとは思うんだけど別に危機感ないしヤル気出ないんだよなぁ。
そんな方に読んでもらいたい内容です。
元々太りにくい体質だった
私は生まれた当時身長48cm2710gのそこそこの小型で生まれてきました。
人生で一番太った時期は妹が生まれるからと祖父母宅に預けられていた2歳の時がピークです。
両親ともに細身で筋肉量が少なさそうな見た目をしているので遺伝的にも太りにくく筋肉がつきにくい体質なのだと思います。
実際、遺伝子検査を受けたことがありますが、筋肉がつきにくいバナナ型でした
筋肉はつきにくいながらも、小さい頃から運動が好きで得意な方でした。
- 幼児で連続逆上がり
- 幼稚園児時代から一輪車を乗りこなす
- ベッドの上から飛んで空中一回転して着地
- 逆立ちで歩く練習をひたすらする
- スイミングに通っていて泳ぐのも得意
- 短距離走も長距離走もよくメンバーに選ばれた
- 子ども時代は親友と一輪車かバドミントンで遊ぶことに時間を割いていた
そんなことから、私は中学ではバドミントン部がなかったので仕方なく似たラケット競技のソフトテニス部に入部していました。
ここまで読むととても活動的で学校では元気に過ごしているように思うかと思います。
しかし、私は4歳から家の中ではお喋りで元気なのに、学校へ行くと途端に無口で無表情、自己表現を封印されてしまうという謎の不安障害に悩まされていました。(場面緘黙症といいます)
そのように喋れなかった割に、常に運動していたおかげか?心肺機能が高かったおかげか?
- 教科書の音読
- 歌のテスト
- リコーダーのテスト
- 体育の授業は無表情ながらもこなせていた
これらは何も問題なく、むしろ他の生徒たちよりも得意という状態で学校生活を乗り超えることができていました。
最後の運動は中学3年の運動部
中学3年間、ソフトテニス部で毎日しごかれ、私はどんどんと筋肉量を増やしていきました。
それでも痩せすぎ、もっと食べなよ?なんて言われることもありましたが、
中学3年が人生の筋肉量最大ピークで身長163cm体重約50kgありました。
数字だけ見ると女性的には健康的なレベルではないでしょうか?
もちろん当時は場面緘黙症で学校で不遇な扱いを受けまくっていたため、学校内では心のダメージは大きく、心は不健康だったと思います。
しかし不登校になることも全くなく、皆勤賞で学校に通っていました。
これもまた運動効果だったのではないか?と35歳になった今、振り返ると思います。
高校生から徐々に筋肉減少
高校入学とともに私は運動をすることを一切辞めてしまいました。
運動部でめちゃくちゃ鍛えていたのに、突然運動のすべてを辞めてしまったせいか、
反動で文化部の人たちよりも体力が低いのではないか?というレベルにまで陥り始めていました。
こうして、得意だったはずの体力測定テストでも
長距離がめっちゃ苦しい・・・・しんどい・・・
短距離走も突然遅くなる・・・
というデータからでもわかるレベルで心肺機能の衰えが顕著になっていきました。
心肺機能低下で音読ができない
高校2年生になった頃でしょうか。
今まで得意だったはずの教科書の音読が突然できなくなっていきました。
- 読んでる最中呼吸が苦しい・・・
- どこで息継ぎをしていいかわからなくなる・・・
- 呼吸困難
- 音読が命の危機・・・笑
私は間違いなく、場面緘黙症以外の不安障害を併発していました。
お願いだ・・・!私を当てるな!!!出席番号と同じ日付の日が恐怖・・・
自転車通学で謎の膝痛
学校へは自転車で20分、毎日自転車で往復していました。
しかしある日突然、左の膝に違和感・・・・!!!
特に何かしていたわけでもないのに自転車をこいでる最中膝を痛め、整形外科へ行くことに。
レントゲン等診察を受けましたが、膝にまくサポーターをもらいその日は帰宅。
装着したら不思議と何事もなかったかのように痛みがなくなったので、診察結果を聞きに病院へ行くことなく、膝の痛みのこともすっかり忘れ、
いつも通り自転車通学、そしてテストの前だけがり勉
という高校生活を過ごしていました。
突然呼吸が苦しくなる
私は大学へ行くことは辞退し、アニメの専門学校へ入学しました。
アニメの専門学校時代はバイトもしていなかったため、映画の試写会に応募しまくっていて、よく当選していました。
ちょうど学校帰りの時間とマッチしていたため、よく会場に足を運んでいました。
この試写会で、私はよく息苦しさから謎の呼吸困難になっていました・・・(周りに迷惑かけないレベルで)
これもまた振り返ると、運動不足による心肺機能低下が根本的な原因だったのだと思っています。
アニメ業界のハードワーク
私は20歳から地元愛知を出て、東京で働き始めました。
私が選んだのはキャラクターを描くアニメーターではなく、その後ろの背景を作成する背景美術という部門です。
実家で暮らしていた時は、毎日23時までに就寝、朝は6時から7時起きなんてのが日常で、それが当たり前だと思っていました。
ところが職場に入ると
23時になっても帰れない・・・・・
それが日常でした。
もう寝る時間なのになんで帰れないんだー(T_T)
私が働いていた時は0時過ぎも当たり前、遅いと朝2時過ぎまでいたことも。
もちろん基本、残業手当などありません。
ただ、その分朝も遅く10時始業ではありました。(新人は9時出勤)
新人じゃなくなってからは毎朝9時30分に目覚め、準備し急いで向かい、始業3分前にタイムカードを押す。
会社が徒歩10分圏内だったのでそこは楽でいつもぎりぎりまで寝ていました。
新人~3年目くらいは寝坊たまにしてて先輩にコロサレル!!
という思いで飛び起きて、強迫観念で先輩にちゃんと電話かけてたよ?笑
怒られたことはない。優しいね、先輩は仏だね☆
人間慣れるもので、そんな生活も次第に慣れて私の中でもそれが当たり前になっていきました。(洗脳)
ちなみに休みは基本第一土曜だけ休みで他は週1の日曜だけが休みでした。(祝祭日は休みですがほとんど休めません)
たった1年で6kg減
1年目2年目は私は会社の電話対応と玄関対応係でストレスが半端ありませんでした。
- 頻繁にかかってくる外部からの電話
- 業界関係者の制作進行さん以外の訪問客
今までのんきにバイトもせず家の中でしつけもされずに育った私には常識などなく、
何をどうしないといけないという考えも思いつかなかったので初歩で大変苦労をしていました。
(ちなみにこういった電話・接客対応の研修なんてのはありませんでした)
また、昼食時間は12時から13時までと決まっていましたが、小さな会社だったのでその時間になると社長がお弁当を持って社員の部屋にやってくるのです。
私は場面緘黙症で人が集まると喋れなかったので、それが苦痛で家に帰って一人でご飯を食べるようになりました。
急いで帰宅し時間内に食べて急いで会社へ戻る。
これが可能だったのは「野菜うどんを作って食す」だったので、私はほぼ毎日のようにうどんを主食に野菜・納豆・たまにハムとか・卵を食していました。
これを会社を辞める最後まで続けていました。
おかげでうどんの人といえばとこたん。というくらいうどんと結ばれ、10年以上経った今でもそれが定着してしまっています・・・
最近も言われたんだ。とこたんて同じものずっと食べてるイメージ。うどんとか。って笑
今はもううどん一切食べてないぞ!!
夜は18時以降なら自由に食事オッケーだったのですが、コンビニでパンを買う・納豆巻きセットを買う
このくらいで毎日を過ごしていました。
つまり年中栄養不足。
というわけです。
そうして運動もしないで栄養不足状態でデスクワークを続けていたせいか、一気に体重が減ってしまいました。
PC作業が耐えられない
仕事を始めて2年目くらいからPCでの長時間作業が苦痛で苦痛でたまらなくなっていきました。
- 肩が痛い・・・
- 首が痛い・・・
- 姿勢をたもつのがキツイ・・・
こういったことから駅前の保険が効くよ☆1回千円だよ☆の整体に訪問することになりました。
首をバキッ!!!あちこちバキッ!!!(カイロプラクティックて言ってたような)
なんかバキバキされてその時はすっきり爽快。
ところがそれを機に、口が開かなくなり顎関節症により歯医者に通うはめになりました・・・
なんでやねん!!!笑
今振り返るとPC作業がきつくなったのは、体を動かしていなさすぎによる筋肉量の低下から来ていたんだなぁ。と思います。(これ、電磁波の影響が大きいかも。)
夏場にひたすら足がつる
私は夏場は常にサンダルでした。
会社にももちろんサンダルで通っていました。
そのくらい私服オッケーラフオッケーな業界ではあったので、そういった点では気楽な業界でメンタルに優しい業界だな~なんて思います。
私は夏場にしょっちゅう足の指がつっていました。
歩いてる最中に突然つるのです。
突然つるので歩いてる最中突然千鳥足になり、傍から見ると超怪しい人でした。(じろじろみられたことあったけど東京だから気にしないという謎のメンタル)
20代前半でこんなにも足がつる人、他にいるのか!?
と思うほど。
秋の鎌倉散歩で膝が痛む
22歳頃、当時お付き合いしていた(のちに結婚して離婚した)人と秋に鎌倉へ行きました。
私は元々は歩くことが好きで、長時間歩いていても苦ではないタイプです。
ところがどっこい、
東京の鎌倉、ちょっと冷えるそんな秋、
長時間二人で歩いていたら膝が痛くて歩けない・・・・
という状態に私は陥ってしまいました。
膝がぁああ!!!よろ・・・よろり・・・・
こうして膝が痛いとうるさいとこたんとの鎌倉デートは途中膝の痛みを軽減させるという時間に割かれ、集中できない鎌倉散歩となったのでした。
このあたりから筋力の低下を少し感じ始めていましたが、暖かくなると何ともないので気にしないで改善しようとも思いませんでした。(電磁波の影響やろ…by2023年8月に思っている気持ち)
美術監督(共同)のストレスで一気に体重減少
24歳でプロポーズを受け、その年で会社を辞めることを決意した矢先、
社長は私と同期を共同で美術監督として配置し、裏でことを進めていました。
そのため社長に「結婚するんで辞めます」と報告した際、とても慌てられ
「○○と共同で美術監督でこれやってもらおうと思ってたんですわ。もう決まっちゃってることなので○○のサポートという形で・・・」
こんな感じで最初で最後の美術監督としてクレジットされています。
(共同の同期は今も現役バリバリキャリアウーマンです。)
初の美術監督・・共同とはいえいろんなことが初めてでそのストレスで一気に私はやつれていきました。
ねえ!!メモれないんだけど!!笑
何もメモないよ?!コンテ見せて。笑
ってよく言ってました。私はポンコツなのでしょうか。
いいえ!!!安心感という空間さえあれば本来の力を発揮するのよ!!!
実際、ひきこもりで電話の打合せなんてのがあった時はちゃんとメモれてました。
私の強迫観念により納期がやばい! といつも追われながらも、私がざっとチェック&同期の最終チェックで仕事の納品自体はいつも毎回早く終わっており、共同でいいタッグを組めていたと思っています。
しかし納期がやばい!!!の強迫観念から
- 昼のうどんは相変わらずだが夜ごはんが無くなってきた
- 常に頭の中が納期のことでいっぱい&制作さんからの電話に怯えるで、エネルギー消費が半端ない
エネルギー消費の割に摂取カロリーが低すぎる
という問題でやつれていったのです。
美術監督任命から1年で、、、約42kgあった体重が
165cm体重37kgまで落ちました。
ねえ、しぬの?笑
ここまで低体重になったのにもかかわらず、私は特に何か改善しようとも思いませんでした。
それは
女性ならではの生理不順等が一切起こったことがなかったからでした。
なんだかんだとこたん健康だとおもうんだー(楽観的)
こうしてそのまま私は結婚退職し、在宅ワーカーになっていきました。
在宅ひきこもり生活
結婚してからというもの、家にいるだけで特に誰かと打ち合わせを直接するでもなく、
ただただ受け身で元々いた会社から仕事の発注をされ絵を描く日々でした。
それでもまだ当時は埼玉県に住んでいたので、都内の会社の忘年会や○○会は全て参加し、人と会い、人と接する機会もありました。
また、車も持っていなかったので自転車で買い物に行き、休みは都内へ出かけ歩き回る。
そんな生活で運動らしい運動は全くしていませんが、気持ち的には運動している気分で日々過ごしていました。
しかし、結婚生活2年目で突然元旦那の都合により、宮城県に転勤になりました。
私の衰弱はそこから始まっています。
誰とも会わないから仕事人間化
元々私は人が好きで、人と話すこと自体も人と適度に会うことも好きな性格です。(場面緘黙症でしたが)
宮城県に転勤になり、子どももいない、さらに仕事は在宅で完了、しかも当時はTVアニメシリーズのお手伝いがメインだったので、意外と忙しく、
いざ!友達作ろう☆
っと思ってもなかなか時間を作ることができませんでした。
そうして時間を取れないため、平日は
- SNSでチャットで完了する友達を増やす
- Skypeで元の会社の人とチャットする
- 1日中深夜まで仕事
と、元旦那以外誰ともリアルで接することなく一日中家にひきこもって仕事絵を描き続けていました。
また、宮城県に転勤になった際に車を所有するようになったため、土日は車移動になりました。
もう、ほとんど歩かなくなっていったのです。
こうしてどんどんと私は省エネでも動ける体のまま、何事もなく、
身長165cmで体重30kg台を抜けることなく、それを改善しようとも思わず生活を続けてしまっていました。
ソシャゲ中毒(無課金勢)
一日中家にひきこもって仕事とチャットに没頭していたわけではありません。
私は仕事をしながらソシャゲにハマっていました。
一番最初は探検ドリランド
GREEのソシャゲで3年くらいハマってやっていました。
次にハマっていたのはLINE ポコパン
そして次にLINE:ディズニー ツムツム
ちょっと仕事に余裕がある時は朝から晩までポコパン→ツムツム→ポコパン→ツムツムのエンドレスでもはや廃人でした。
そして最後に歌マクロスという音ゲーです。
基本やりだすと長く続けてしまい、朝から晩までじっと動かず歩くことも運動をすることもなく、そして飲まず食わずで夜を迎えて元旦那が帰ってきて1日の初めての食事をする。
なんてことが日常でした。笑
風呂に入るのめんどくさい
私は在宅になってからというもの、風呂に入ることが億劫で億劫でなかなかできなくなっていました。
2日に1度、3日に1度、大体こいつ風呂ってないだろ?と思われそうな
前髪がピカピカつやつやあぶラギッシュ☆
になった時、ようやく入らなくっちゃと思える意志力しかもはや持ち合わせていませんでした。
あーめんどくせぇ、なんでこんな風呂がめんどくせぇんだ
これもまた、筋肉量の低下が原因だと思っています。
風呂という入らなくても生命の危機に繋がらない行動に、持ち合わせているエネルギーをわざわざ使えない!使ったらもったいないだろ!が原因なのではないか、と今では思っています。
体力ないから省エネ範囲でしか動けない
私は都内一人暮らしの時は、週1しかない休みは必ず外出するほど活動的でした。
ところが筋肉量が激減し、さらにひきこもりの在宅ワーカーになったとたん、
私は休みのお出かけが段々とめんどくさくってたまらなくなっていきました。
長期休暇は元旦那が勝手に旅行を組むので思考停止でただ鳥のようについていく
という状況でしたが、最初の頃は知らない土地の観光地を巡るのも楽しみで旅行は一応楽しんでいました。
それも結婚5年を過ぎた頃からは、
- 相手のペースに合わせるのがだるい
- 望んでもないのに遠出に付き合わされる
- 歩いていても相手がどんどん自分を置いて先に行くからイラつく
こんな感じで一緒に出掛けることにもストレスを感じ始めていました。
これもまた、私の筋力低下が根本的な原因だったんだろうな。
と今では思っています。
宮城の冬に耐えられない
宮城の冬は底冷えする寒さです。
私は遺伝子的には九州の血をひいているせいか、寒さにとても弱い個体だと思っています。
そもそも筋肉量が激減した状態で、私が宮城の冬を越すには厚着でひきこもるしかありません。
宮城に転勤になって2年目の頃でしょうか。
私はSNSで仲良くなった同じ転勤族の奥様と仙台集合で1度お会いしたことがあります。
その時真冬の2月だったのですが・・・・
仙台駅の階段が膝が痛くて降りられない・・・・という状況に
よろ・・・よろり・・・・手すり手すり・・・
相手の彼女から
「とこたん!!笑 大丈夫?!笑」
とびっくりされめっちゃ笑われた経験も。
宮城の寒さ、大敵です!
寒いと膝が痛くて山に登れない
私は山のハイキングや登山が好きです。
元々歩くことは好きなんです。
なので元旦那とはよくハイキングにも行きました。
しかし、寒くなり始めた秋のハイキングとなると話は別です・・・。
過去、一度秋の鎌倉散歩でも膝が痛くて歩けなくなったように
秋のハイキングでまた同じことをやらかしたのです。
福島の磐梯山の登山コース入り口で、
ひざ・・ひざがぁぁああ!!!痛い・・・
と、秋の寒さで膝を痛めるため、結局入り口でハイキング中断、引き返す。になったことも。(電磁波ダメージの影響もデカいわ…多分ね。)
しもやけが酷い
私はしもやけ体質です。
つまり筋肉量が少ないのが原因で血液が先端まで行き届かず、冷え性なのです。
思い返すと筋肉量が多かった中学、高校あたりは全くしもやけの記憶がありません。
しかし、体重が一気に落ちた頃からは、東京の冬でも埼玉の冬でも酷いしもやけに悩まされるようになっていました。
病院へ行くと「これは酷いですね~笑」
と言われるほどです。(これこそ電磁波の影響っぽいわ。)
かがんで後ろにひっくり返る
宮城の次の転勤先、群馬県に住んでいた頃は、片道電車2時間かけて前の会社の忘年会や○○会に顔を出していました。
その頃は在籍中よりももっと筋肉量が落ちていたせいか・・・
私の太ももはもはや太ももを名乗ってはいけない細ももに退化しており、またふくらはぎも頼りない棒となっていました。
そんな状態で、会社の中でふとかがんだ時
私は踏ん張れず、後ろにそのままひっくり返りました。笑
その場にいた後輩の子が
「やばっ!笑」
と思わず言ってしまうほどの見事なひっくり返りです。
脚の筋力がヤバいかもしれんぞこれは・・・!(と思いながらもまだ気にしない)
離婚と祖父母と猫の他界
2018年の夏、私は子なし離婚をしました。
その年を境に私が一番可愛がっていた実家の猫のたみも他界、そして親族が続々と他界していきました。
家族にしか見えないんだと言われ捨てられる
離婚原因の一つに「家族にしか見えないんだ」と言われたことも入っています。
実は私、結婚してから元旦那にずっと太らされようとされていました。
あれやこれやと日中食べなさい、と食料を仕事机の上に置かれて食べるように、と与えられていました。
私は知っています。元旦那が実は巨乳のぽっちゃりが好きであるということも。
しかし一向に私は太る気配もなく、筋肉量は落ちたまま、弱っていきました。
(仕事面だけは強く成長させられました)
私は元旦那からずっとメス認識をされていなかった、というわけです。
とこたんは、エヴァンゲリオンに似てるんだ!
(て最近新たなパートナーに言われた)
うぉぉぉおーーーー!
※ヱヴァンゲリヲン新劇場版 エヴァンゲリオン第13号機 疑似シン化第3+形態に似てるらしい
うん、触ると痛そうだね、わかったよ!太るよ!!笑
大好きな猫の他界
2018年の夏、初めて実家で飼われた私が一番可愛がっていた猫のたみが亡くなりました。
猫のたみには亡くなる1ヵ月ほど前、実家から危篤の連絡を受けたので仕事をほっぽりだし大急ぎで帰省し、会いに行きました。
3年以上私は実家に帰省していなかったため、たみがすっかり歩けなくなっていたことも知らず、現状のたみの様子にただただショックを受け見守ることしかできませんでした。
たみはずっと体が大きく、見るからにいつも膝に負担がかかっているなぁ、よっこいしょってジャンプしているし。
と様子は知っていたので、歩けなくなってから衰弱していったたみのことを思い、そこから私は膝の大事さを身に染みて感じ始めたのでした。
膝・・・膝が大事だ・・・
人間も猫も歩けなくなると衰弱するんだ・・・
(たみも私も電磁波ダメージをうけていたんだー!!!!マンション住まいで土がない。アース線など家電に繋いでおらん。たみは電磁波対策などしていない電気カーペットの上、コタツの中によくいたし、テレビの画面をなめなめしていたぞ。だから膝痛になったのでは…)
盲目になった祖父の他界
父方の祖父は緑内障で視力を失いました。
一緒に暮らしていた祖母は毎日祖父のお世話をしていました。
目が見えなくなったことで歩くこともなくなり、祖父は衰弱していきました。
しかし衰弱してはいくものの、内臓が元気なため、その状態で老衰するまで長い年月を要したのです。
老々介護、8年でした。
祖父は歩けなくなったことでメンタルを崩し、祖母にひどく八つ当たり等していたようです。
その間の苦労は祖母から両親に伝わり聞いているので、いかに精神的に大変か、いかに健康寿命というものが大事なことなのか。
これを身近で考えさせられることとなりました。
2019年1月、祖父は89歳で老衰で亡くなり、その1年後、祖母は後を追うように突然歯医者さんで倒れ亡くなりました。
残された歩けない祖母
2019年10月、母方の祖父が86歳で突然亡くなりました。
祖父は自営業で建具屋をしていました。
祖母はその建具屋で経理としてずっと祖父のそばで会社を支えていました。
しかし私が高校生になったころでしょうか。
祖母は歩行に支障がでる病気になり、次第に歩くこと、動くことが困難になっていきました。
そんな祖母とは正反対に、祖父は職人で50年以上毎朝1時間歩くという習慣をもっており、私の親族の中では年をとっても一番エネルギッシュで、会うたび電話をするたび、私は元気をもらっていました。
また、私はそんな祖父のように年をとっても精神的に楽しく生きたいと子どもの頃からずっと思っていました。
祖父はいつも私に電話をかけてくると
「お客さん達から社長さんどんどん若くなるねぇと言われるんよ~!」
「わしゃまだまだ死なれんのよ~!」
「ばあさんが大変だからわしがなんとかしないといけんのよ!」
「100歳までわしゃ生きるんよ!」
こう言いながら脳梗塞1回脳卒中2回、経験しながらもすべてすごい早さで全回復し
本当に死なないんじゃないかな。
なんて思っていた矢先、
祖父と二人暮らしで同居していた祖母が入院中・・・・
一人、脳内出血で風呂場で倒れ、そしてついに発見が遅く間に合わず、本人念願の100歳を迎えることなく86歳で亡くなってしまったのです。
2019年3月、父方の祖父の法要で両祖父母の住む九州に行った際、
歩けない祖母は祖父にこう言っていたのを今でもはっきりと覚えています。
祖母「おじいちゃん、まだまだ生きてくださいね~(^^)」
祖父「あんたが歩けんからわしが頑張らんといけんのよ!笑」
「わしゃ死なないんじゃないかなぁ死ぬ気がせんわい(^^)」
この7カ月後の2019年10月、突然他界しています。
現在歩けない祖母は介護ヘルパーさんが来てくれますが、一人暮らしで生活しています。
そして祖母は祖父の写真に話しかけながら食事をしています・・・
※【追記】2021年9月19日から入院中。もう一人暮らしは無理とお医者さんが判断して、有料老人ホーム空き待ちのため、転院の予定。→今は老人ホームで暮らしています。
女性は30代前半までに筋トレ習慣化させろ
以上の流れから、私は歩けなくなることに対して強い不安を感じるようになりました。
だからといって急に生活を改善できるか?と言ったらそうではありません。
ではどうして今、ここまで強い意志を持って心身の健康に向き合えるようになったのでしょうか?
それは離婚をきっかけに環境が一気に変わり、自分だけのことだけを考える時間が大幅に増えたからでした。
つまり自分と向き合う時間が圧倒的に増えたからでした。
某メンタリストにあおられてヤル気出す
私は家の中でただ一人で人と会わず生活する間、仕事をしながらYouTubeを聴くようになりました。
元々心理学に興味を持っており、また胡散臭いことが大嫌い、無駄なことをしたくない!!
そんな気持ちから、科学的根拠ウリの某メンタリストさんの動画を拝聴するようになりました。笑
さすが某メンタリストさんです。
人を動かす天才です。
素直な私はどんどんとよき洗脳をされていきました。
あ、このひと私と同じニオイがする・・・
なぜこれらの情報で私は動いたのでしょうか
こうして私は中学3年を最後に全く運動をせず生活を続けていたのですが、ようやくヤル気スイッチが入り、
2019年12月から
毎朝起きたら必ず運動する(当時はSwitchのリングフィットアドベンチャー)
そして、運動してから仕事をする。
という習慣をつけることができました。
まとめ
いかがだったでしょうか。
私は自身のメンタルの不調や、寒さでの膝痛による歩行困難、身内の生き方
これらの背景も総合して、ようやく運動の大事さに気が付き、ようやく運動習慣を身に付けることができました。
私が離婚したのも、根本的には私と元旦那お互いの運動不足による心身の不調から来ていたんだ・・・と思っています。
心身健康じゃないと仕事も家庭もゆくゆくは台無しになってしまうんだ・・・・!
子どもの頃散々精神的に苦しんだんだから、そんな辛いメンタルはもうごめんなんだ!!!
ということで、私は今では
「心身の健康を第一に!!!365日筋トレと自炊が習慣」
これが価値観となり、すべての判断基準が心身の健康に繋がるかどうか?
で決まるようになりました。
その後根本原因は運動ではなく食事内容では?という結論に。
さいごに
私が参照して突き動かされた本はこちらです。
口コミを読むだけでもヤル気が出るので、知らない方は読んでみてはいかがでしょうか。
どうぞお身体お大事に。
これからも私は毎日運動つづけます!!
ごきげんなおばあちゃんになってやるんだ!!うおおおおーーー!!
長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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