絵描き在宅ワーカーになった経緯④【会社員時代編】

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こんにちは!私はフリーランスの背景イラストレーターです。

元々アニメ業界出身で、結婚を機にフリーランスになっています。

この記事では会社員時代のとこたんの様子がわかります。

  • ここでは私が「背景美術専門」の絵描きフリーランスの在宅ワーカーになった経緯を時系列を追って書いています。
  • 私の世渡り戦略を公開していきます。
  • こういう特性が自分にもあるなぁという方には何かしら参考になるかもしれません。

私は元々幼稚園時代から場面緘黙症という症状を持っていました。

特定の場面・特定の場所で喋れなくなってしまう症状です。

その症状を持ちながらどうやって今の環境を手に入れたのか時系列を追ってつづっています。

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東京のアニメ背景制作会社に入社

専門時代はアニメーター科と背景美術科を選択していましたが、アニメーターにはならず、背景美術スタッフになることを選択しました。

どうして背景美術なのか
  1. 元々色がついているからという理由でアニメが好きだったから
  2. アニメーターは色を使って絵を描かないから
  3. 元々人を描くよりも、風景を絵の具で描く方が得意だったから

私はアニメ業界に入りさえすれば、画家のように自力じゃなく、必ず固定給でお金がもらえる!と安易に考えていたので、基本、給料がいくらかどうか、待遇がどうか~なんてことは一切気にしていませんでした。
というかそういった基本的な知識が全くありませんでした。

私は、本来は少人数+会社に猫がいる+アットホームな会社で職人になりたい!と考えていたのですが、たまたま求人が早く出ていたその会社に専門の同級生たちの多数が、受ける!といい出したので、影響を受けて早いとこ私も受けておかねば!とその会社を受けることに決めたのです。

一次試験が通ったので、面接の準備を徹底的にしなければ!
と、それからその会社の携わっていた作品を観漁りました。
当時のアニメで背景が注目を浴びていた作品もその会社でやっていたので、
ここに入ったらこんな素敵な背景を描けるようになるんだ!という期待感も高まっていきました。

そんな理由で応募した会社に運よく採用されることとなり、結果そこに約5年勤めることになりました。

会社の特色

こんな職場だった
  • 同業の会社に比べて比較的待遇がよかった
  • 社長が恐れられているのだが本来はとても繊細で優しい人
  • 途中から毎月お誕生日会でケーキを食べる会ができた
  • 机を囲んでみんなでおやつを食す時間が毎日あった(実はこれとこたんがきっかけで毎日になったんです)
  • 仕事が一段落すると休日出勤した分だけ全部消化できるスタイルだったので長期休暇が意外とあった(1か月とか休みになる人もいた)
  • 社員の人柄が基本誠実で穏やか
  • 女性が7、8割
  • 「自分たちで背景を描く職人の会社」というより仕事を外に出すことがメインの発注の会社だった
  • 仕事のやり取りは席が隣同士でもチャットでやり取りすることが多かった
  • 4年目でただのノーマルスタッフで年収349万だった
    (これしか源泉徴収票残ってなかった)
  • 現在は社長引退により解散しているため別の会社になっている

私は本来職人になりたい願望があったのですが、実際入社してみると、自分たちが描いた絵が100%アニメで使われている。という会社ではありませんでした。

海外に発注することがメインで、実際に自分自身で色を使って描くことがなかった会社に入ってしまったことに、当初は大きな絶望を感じ、1年目で社長に「自分で絵を描けないなら3年で辞めます」と伝えています。笑

何故入る前に気づかなかったのか
  1. 実技試験の時に職場の人が絵の具を使って絵を描いているところを見たから
  2. 全員の机の上には絵の具(ポスターカラー)が並べられていたから
  3. 実技試験でポスカラで絵を描かされたから

私は自分たちで描いているものだ!と思い込んでいたため、何も疑問に思っておらず、業務内容について面接時に質問することがなかったのです。

しかし、結果的には途中で別の会社に転職することもなく結婚退職するまでその職場で働いています。

それは、数年働いているうちにこの会社に入ったことは本当に運がよかった

と思うことに繋がっていったからです。

最初は職場はとても辛い場所だった

私は就職を機に初めての東京一人暮らしを始めました。

しかし私は全然不安ではありませんでした。
専門時代の同級生たちもそろって上京したからです。
また、専門時代の同級生が一人一緒に会社に入ることになったからです。

さらに私が喋れない(場面かんもく症)ことを知っている人が誰一人としていない土地に行ける!
というのが何よりも嬉しく、期待感でいっぱいだったからです。

会社は25人ほどの職場でした。

不安はない、と言ってもいざ入社してみるとそう簡単にはいきませんでした・・・。

私はバイト経験がなかったため、職場にいる人が同期の一人以外全員年上という初めての体験に圧倒され、恐怖感からまたその空間で自ら喋ることができない呪いにかかってしまったのです。

専門時代に教室で特定の人と自然とお喋りができるようになった!
という経験だけでは全然克服の域には達していませんでした。

その上でいきなり私は電話対応係+玄関の受付対応に任命されたのです。
不安が強くなりすぎて、電話は散々な目に遭いました。
一度私のせいで外部から苦情が来たこともあります。笑

電話と玄関に来客が来ることに怯えながら終始仕事をしていました。

入社1~2年目の私の特徴
  • 強迫観念が強すぎた
  • 社長の存在に恐怖を感じていた
  • 明日休んでいいと言われても休まなかったことがある
    なんで来てるの?と社長に言われた(休むと酷い目に遭うと思い込んでいた。笑)
  • 食パン一斤とハムを昼食にしていたら社長から「給料を払っているんだからちゃんとしたものを食べなさい」と苦言を呈される
  • 会社の冷蔵庫に食パンと食べる用のキムチを入れていたら、「おいしいけど臭いがうつるからやめてほしい」と苦言を呈される
  • 慣れない先輩や社長と机を共にして昼食をとることが不安感でストレスになりすぎたため、昼食は自宅に帰ってとるようになった
  • 昼休みに八百屋に食材を買いに行き、急いで家に帰り自炊して「いいとも」を見ながら食べ、急いで会社に戻るという日常を送っていた
  • 毎日3玉うどんを主食にして食べていた
    (お金が無くなることに恐怖を感じていたためコスパいいものしか買えなかった)
  • 特定の社員と二人きりの時だけお喋りでにこやか
  • 人が集まっている場では例えその特定の仲良い社員がその場にいても、発言しないしリアクションも取れない
  • 周りに人がいるとどうしてもリアクションが取れず、先輩の足元をゴキブリが歩いているのに気づいてもじっとゴキブリを見つめることしかできず、
    「わぁっ!!!早く言ってよー!!!笑」と言われたことがある
  • 風邪をひいても人の前で咳ができず帰るまで咳を我慢していた(深夜1時とかまで我慢して苦しすぎた)
  • 電話恐怖症
  • 強迫観念が強すぎたせいで仕事が速かった
  • 今までの経験上、リアクション取らないと大変な目に遭う+素直じゃないと大変な目に遭うと思い込んでいたので、上司に対して必ず「お願いします」「ありがとうございました」だけは欠かさなかった
  • 仕事に対して指導されたらめちゃくちゃ素直に受け入れていた
  • 指導してくれる先輩に質問することを心掛けていた(きっと聞かれた方が嬉しいに違いない!私は人から話しかけられるととても嬉しいから、そうに違いない!と思って)

私が入社した当初は、ちょうど手描き時代とデジタル時代の分岐点にあたる時代でした。

そのため、実際に描いている人は長く勤務していた「作品の世界観を決定する美術監督の方」が多く、普通のスタッフは「描いてもらう用の線画を準備し、どのような絵に仕上げてもらうか指示内容を書き込み、その線画をスキャナーで取り込海外に発注する」というのが主な仕事内容になっていました。

また、海外の方々が描いてくれた背景を手直しするのも美術監督の方でした。

自分で絵を描けないなら3年で辞めます

ここで不思議に思うのが、社長にめちゃくちゃ怯えていて、自分の意思を人に伝えることに超不安を感じている人が、なぜこんなことを社長に伝えられたのか疑問に思われるかと思います。

何故そんなことを言えたのか
  1. 私は実際に色を使って描かされて、訓練を積みながら技術向上していくものだと思い込んでいたので、このまま年数を重ねていくことにものすごく不安を感じて、未来に絶望を感じたから
  2. 基本的には周りに自分と相手以外人がおらず、1対1の環境でなら気持ちを伝えることに不安を感じていなかったから

つまり、強い思い込みによる極端さが原動力となり、機会さえあれば意思を伝えてしまうという本質があったからです。

これをきっかけに、私は手描きで絵を描くことにこだわりを持っている美術監督の方の下に付かせてもらうことになりました。

また、別の美術監督の方の下でも、なるべく絵を描く機会を作ってもらえるようになったのです。

(なので、ノーマルスタッフの中で私だけポスカラを使って背景を描く機会が多かった)

なんでも話せる特定の社員を4人+社長と上司を味方につけた

私は人が集まっている場で自然と喋ったり、リアクションを取ったり笑ったりと自己主張をすることが全くできませんでした。
ただ、人が多くいても何か聞かれた場合だけ一言返事をする程度はできました。

その緊張感と不安感から、私は特定の社員誰か一人だけでもありのままの自分でいられる人を作ろう!と戦略を練っていたのです。(これは本能に近い)

親密になった人たち一覧
  1. マレーシア人の同期の子(二人きりで掃除をする機会があり、私、バンコクに住んでたことあるよ!と話しかけたのがきっかけ)
  2. 2年目に一人だけ入社してきた同い年の後輩くん(新人の掃除タイムで二人きりになる機会があり、私から話しかけたのがきっかけ)
  3. 会社の二個上の女の先輩(同じ作品の班で深夜まで残っていた時に二人きりになる機会があったので私からよく声を掛けていた)
  4. 一緒に入社した専門時代からの同期の子(二人で美術監督をすることになったのがきっかけで一緒に打合わせに行ったりSkypeで雑談することが増えたから※専門時代は特別仲良くはなかった)

実はこの4人にはある共通した特徴がありました。

他の社員とよく喋る、コミュ力の高い穏やかな社員である

私は自然にリアクションがとれて、自然に笑うことができて、人が集まっていても自然と自分からお喋りができる穏やかな人と親密になったのです。

私はその人たちの人と接する時の態度にとても憧れていたので、仲良くなれたことでものすごく嬉しくなり、どんどんとプライベートなことを話したり、根掘り葉掘り相手のプライベートな話を聞いたりして心を開いていきました。

本来私は人に対して強い好奇心を持ち合わせていたので、どんどんと仲良くなり、会社以外のプライベートな時間にも一緒に時間を過ごすことが増えていきました。

社長と上司を味方につけた
  1. 【会社の社長】→一番恐怖を感じていたが、1対1の面談や仕事指導の時にたまに見せる笑顔がめちゃくちゃ癒し系で可愛かったため、社長のいないところでほめまくっていた。
    結果、本人が知ることとなり、どんどんとよく笑顔を見せる癒し系の社長に変化!
    優しいおじいちゃん
  2. 【美術監督の上司】→ゴキブリが足元を通っても教えてあげられないほど喋れなかったが、上司が家庭の事情で仕事がなかなかできない時期があった時、上司に心配を掛けず仕事の大半を捌くことに成功。結果助かったと感謝され、それがきっかけで褒めてもらえるように

実はこの美術監督の上司もまた、他の社員とよく喋る、コミュ力の高い穏やかな方でした。
仏と言われていたこともあります。
しかし、私は立場が上の方に脅威を感じていたため、不安で全く喋れなかったのです。

大して喋っていなかったのですが、、、

社長と仲のいい社員がこの美術監督の上司だった

という繋がりがあったため、私の情報が共有されることになり、どんどんと環境がよくなっていきました。

会社内の人間関係がいいとモチベーションが上がる

こうして、常に会社の中にありのままの自分を表現できる、なんでも喋れる友達のような社員がいる+味方になった苦手だった社長と上司の癒しにより、私は仕事がとても楽しくなっていきました。

電話対応は会社を辞めるまで恐怖症が抜けませんでしたが、最後、職場を辞める時のあいさつでは、社員の笑いを誘うような気軽な挨拶までできるようになっていました。

「どこかで私を見かけた時はぜひ話しかけてください!!笑」

実際、気軽に声かけてください!笑

とこたん人が好きなんですよ。笑

人と話すのも好きだし人の好き嫌いぶっちゃけほぼないんです。笑

フリーランスになったきっかけ

私は会社を結婚退職するまでに
いつか独立したい!!一人でやりたい!!
なんてことは一度たりとも考えたことがありませんでした。

私は不安が強すぎて、何かに依存しなくては生きていけないと思い込んでいたためです。

実は、この大きな不安感が原動力となり、私は仕事をしながらもSNSを利用して早々に寄生先(←言い方がよくないがこれが適切)のパートナー探しをしていたのです。笑

本来の人に対する強い好奇心と1対1に持ち込めさえすれば誰とでも仲良くなれるという謎の自信もあり、
私にはSNSという場が当時心の拠り所の一つにもなっていました。

結果、SNSをきっかけに知り合った異業種の方と私は5年目の終わりに結婚退職をすることになっています。
(期間7年半で子なし離婚している)

結婚がきっかけで職場が遠くなり通えなくなったため在宅フリーランスになっているのですが、当時はそちらの会社からの仕事だけを手伝っているだけで、独立してるか?自立してる??
と言われるとそうではなかったと思います。

しかし、私が働かなくても生きていける!という安心感は私のメンタルに大変いい影響を与えました。

そして私には強迫観念と不安感が常に付きまとっていたため、決して仕事を辞めることもだらけることもありませんでした。

営業をしたことが一度もない

実は私は今の今まで営業ということをしたことが一度もありません。

しかしフリーランスになって3年目以降は数か所の会社からご依頼をいただくようになり、
ありがたくも仕事に困ることなくお仕事をさせていただいている状況となっています。

何故営業をしなくても仕事が来るようになったのでしょうか。
それについて自己分析していることをまとめます。

仕事が途切れない外的要因
  1. そもそも背景美術という専門分野を選ぶ人がそんなにいないので需要がある(希少性)
  2. アニメ業界はとにかく忙しく人手も足りていない
  3. 同じ会社だった人たちがどんどんとゲーム業界に転職していったため、結果、声を掛けてもらえて新規の取引先が広がっていった
  4. 元居た会社の中で早い段階で退職し、まだ若年齢のフリーランスが居なかった時にフリーになったから声を掛けられやすい状況だった
  5. アニメ業界出身からのゲーム業界で働く人も多く狭い業界のため、その人個人の性格がよほどやばくない限り声を掛けられる機会が多くなる
仕事が途切れない内的要因
  1. 不安感と強迫観念を原動力に、納期を守らなかったことが一度もない、むしろ提出が早い
  2. 不安感と強迫観念が原動力となり、自分の中で完璧だ!と思えないと提出できないから、結果クオリティが高く安定している
  3. 不安感と強迫観念が原動力となり、途中で仕事を辞める方がリスクと考えてしまうので離脱することができず気が付くと傍から見たらベテランになっていた
  4. 自分は凡人。アーティストではない。作業人のプロと認識しており、絵に対して大してこだわりがないので言われたことに対してとても素直ですぐ直すから扱いやすい
  5. 会社員時代に公の場でプライベートなことを一切話さなかった(場面かんもく症ゆえ)が、個人個人の特定の社員とは密かに親密度を上げていたので、そこから人となりが拡散されていた
  6. 感情のアップダウンがなく基本人の良いところを発見して伝えることに喜びを感じていたので、それが人畜無害に見えたのだと思う

つまり私が営業をしなくても仕事が途切れることがない理由は

不安感と強迫観念を味方につけたことによって、相手に無駄な気苦労無駄な時間を使わせないで済むというメリットを与えられるようになったから

だと考えています。

強迫観念が強すぎる→フリーの在宅ワーカーにはある程度あった方が得である

強迫観念がなぜいいのか

〇〇しなければいけない!!という強迫観念が、納期をきっちり守り、クオリティも高く保つことに繋がる
                 
この人に任せれば、心配しないでもちゃんとしたものを期限までに納品してくれるという安心感を相手に与えることができる

不安感が強→フリーの在宅ワーカーにはあった方が得である

不安感が強いとなぜいいのか

提出した後の相手の反応に不安をとても感じるので、相手からの反応ダメージを最小限にしようとものすごく丁寧に作業をすることに繋がる
                  ↓
この人に任せれば、チェックの時間も少なくて済むし手間がかからない!自分の仕事が増えない~自分の仕事が早く終わる~という安心感を相手に与えることができる

まとめ

本来職人になりたい!自分で絵を描いて技術向上をしていきたい!
という願望があったのに、うっかり発注することがメインの会社に入ってしまって絶望を一度はしたものの、

全社員の性格がみんな穏やかで共感能力が高め!!!
個人個人と話すと優しい人しかいなかった!!!
勤勉で継続力のある社員が多かった!!!


ということから、在職中は私の不安症状がどんどんと治まる方向に・・・


そして辞めた後も勤勉で継続力のあるその方々由来で取引先が増え、フリーランス11年目にしても
営業いらずのひきこもり絵描き在宅ワーカーという立場を維持することができています。

また、フリーランスになり発注される側となったため、ようやく色を使って背景を描くことが100%という私の本来の希望の仕事をすることができるようになりました。

まだまだ自分の満足いく背景を描けるようにはなっていないので、これからも日々精進していきます。

今はいつ、仕事が途切れても営業ができるように!!メンタルを鍛えているところです。笑

筋トレが最強じゃー!!!

最後に

私のような不安感が強烈に高いタイプの方におススメする、ひきこもり在宅ワーカーまでの手順はこれです!(女性向け)

フリーランス在宅ワーカーへの道のり

ネットさえ繋がれば仕事が可能な職種を選ぶ(希少性が高いほどいい)
     ↓
その職場に3年以上在籍する
     ↓
その間に誠実でみんなの前でよく喋る人たちと仲良くなる
     ↓
結婚してパートナーの安定収入を確保したうえでフリーに
     ↓
元居た会社から仕事をもらう
     ↓
子なしで自分の稼ぎを全額貯蓄&積立NISAとiDeCoにまわす
     ↓
人脈で取引先を常に3ヵ所キープ
(一番単価のいいところをメインで1カ所、他2カ所は副業のレベルで請ける)
     ↓
いつでも離婚が可能な状態に・・・・
     ↓
そして完全に独立からの自立

こうすることで、仕事面に加え、金銭面でも安心感がどんどんと増幅されていき、不安感が減っていきます。

私の絵描き在宅ワーカーになった経緯が何かしら参考になれば幸いです。

とこたんの歴史
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この記事を書いた人
とこたん

元アニメ業界出身フリーの背景イラストレーター
在宅ワーカー歴10年以上になる在宅プロです!
元場面緘黙症経験者でもありHSP気質の持ち主。
今までの人生経験を元に、不安の受け入れ方や克服方法など生きやすくなる考え方や学んだことを記事にしています♪

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