こんにちは!元々他人の目が怖くて大勢の人がいるところで喋ることができなかった元コミュ症のとこたんです!
私は元場面緘黙症経験者です。
場面緘黙症とは特定の場面で喋れなくなってしまう不安障害のことです。
幼少期から24歳頃までこの症状にずっと苦しめられてきましたが私は自力で完全克服できました。
現在36歳です。
今の私を当時同じ学校(特に小中)だった人たちが見たら多分相当びっくりすると思います。
この人喋れたの?この人こんな人だったっけ?そもそも存在してた?とこたんって全然喋らなかった人だよね~この人暗い人だったよね。
って言うと思います。
コミュ症レベルは学年1レベルで学校生活支障ありまくりで過ごしていた過去があるんです。
しかし今では昔同じ学校だった人で私に対して嫌なことを言ってきた人たちに会っても堂々と今の状態でふつーに会話ができる自信があります。
それは、過去他人からどう思われるか不安で喋ることができなくなっていた私が自分の頭で考えて人間という動物の取説をすべてインプットしたぞ!という自信がついたからです。
どうすれば普通のおとなしい人にしか見えないようになれるのか、人間観察や自己心理分析をずっとし続けていたため、私は今では他人から見て超普通の人間にしか見えないはずの人物に成長しています。
喋れない間はずっと客観性を鍛えていたようです。
絶対私と会ったら普通の大人しそうな人だなーって思うと思うよ
他人から受け入れられるにはどうしたらいいのか研究に研究を重ねた結果だからね?笑
今回はそんな元コミュ症の私がコミュ症を改善するにあたり学んだことと一番大事だったと思った内容をここで紹介します。
- 他人の目が気になって怖くて仕方がない
- 他人の目を気にしないで喋れるようになりたい
- 自称陰キャ
- 内向的
- 愛着スタイルが不安定型の人
人がたくさんいると喋れなくなる理由
なぜ人がたくさんいると喋れなくなるんだと思いますか?
答えは、あなたが人を信じていないからです。
人がたくさんいる場所で喋れなくなってしまう人は、その場に苦手な人がいるから喋れないのです。
その場にいる誰かから敵意を持たれたら怖い、嫌なことを思われたら怖いと思っているから喋れないのです。
この誰かに対するネガティブな感情は全部最初から目の前の人を疑っている態度です。
他人の目が怖くて話せないのは、最初から周りの人間を嫌なことをしてくるかもしれないやつだ!とあなたが疑って決めつけて見ているからです。
このことから、人がたくさんいると喋れなくなる理由は、あなたが人を信じていないからだとわかります。
人を信じられなくなる理由
自分に直接何かしてきたわけでもないのに、その場にいる人たちをネガティブな人だと決めつけて見てしまうようになる理由は
- 過去、友達からいじめられてそれがトラウマだ
- 過去、親からずっと受け入れてもらえずそれで人間不信だ
- 過去、人から裏切られてからずっと人間不信だ
など様々人を信じられなくなってしまうような経験をしてきているからです。
私の場合は母親の私に対する接し方が何を考えているかわからない態度だったため、常に母の様子を伺っていないと見捨てられる(子どもにとって命の危機)と脳にインプットされてしまったのが原因です。
さらに、ネガティブな感情表現を出すことに嫌悪感を感じているような母親だったため、私のネガティブな感情表現=悪と思わされてしまい、ますます自己表現が人がたくさんいるところでできなくなってしまったのです。
人から嫌われてしまったら命の危機=その場の誰かから嫌われてしまったら命の危機
常に人を疑っていないと命の危機=人を信じられない
このように脳が反応するようになったから喋れなくなってしまったというわけです。(それが私の場面緘黙症に繋がった要因の1つです)
世の中の、人を信じられない人たちは、みんな人から「今のあなたでいいんだよ。」と受け止めてもらえた経験が少ないから人を信じられなくなっているんです。
- あなたみたいな人にそんなかわいい服似合わないよ、こっちにしようね?(好みを否定)
- その笑顔気持ち悪い!(感情表現の否定)
- そんなことで泣くなよ!(感情表現の否定)
- え?いたの?全然気づかなかったー笑(存在の否定)
- 無反応無感情で相手の反応を無視(存在の否定)
- あの子はあんなに頑張ってるのにあなたは全然ねぇ(今のあなたを全否定)
今のあなたじゃダメなんだよ!というメッセージばかりを受け取ってしまったから人を信じられないんですよね。
自分を信じてもらえないことが一番悲しいと知っているのはあなた自身
自分を信じてもらえないことがいかに悲しいことか、人間不信になってしまったあなたが一番よく知っているはずです。
一番よく知っているのにどうして他人を最初から疑って見ているんでしょう?
それ、相手に自分がされたくなかったことをしているのと同じなのに。
そこに気が付かないと他人の目が気になって怖くて発言できない状態を完全克服するのは難しいと、私は考えています。
もし、打ち解けていない目の前の人があなたを疑っていたらどう思う?
想像してみてください。
もし私とこたんがあなたに対して「嫌なこと言われたら怖い」「敵意を持たれたら怖い」「この人性格悪そうだから話しかけるの怖い」と思っていたらどう思いますか?
- 私何もとこたんに対して敵意持ってないのに避けられて悲しい。
- なんで勝手に私がとこたんをいじめるって決めつけてるの?
- こんな人だってネガティブに決めつけられるのすごく悲しい。
- 私はそんな悪口言う人じゃないもん!!(怒)
- 私の事疑ってばかりくるとこたんとなんて友達になりたくない・・・。
私とこたんがあなたを疑って見ていたらすごく嫌な気持ちになりませんか?
性格悪そうなやつかもしれないと勝手に決めつけて見ていたらすごく嫌な気持ちになりませんか?
そんな風に見られてるんだーってすごく悲しくなりませんか?
相手を最初から悪者だと決めつけているから喋れない
昔の私はその場にいる人達に対して最初から「私に嫌なことをしてくるかもしれない人に違いないと決めつけていた」から喋れなかったんです。
喋れなかった私は、ずっと自分の身を守ることだけを考えていて、目の前にいる人の気持ちを全く考えていませんでした。
喋れなかったこと、反応しなかった(できなかった)ことが相手を拒絶(否定)して不安にさせていることに気が付いていませんでした。
私の態度が相手を攻撃して傷つけていたことに気が付いていませんでした。
拒絶されることが一番ショックなのを知っているのは自分のはずなのに。
つまり、自分から人を信じようと努力をしない限り人に受け入れてもらえるわけないし、仲良くなんてなれないし、人を目の前にして堂々とできるようになんてならないんです。
人は自分を信じてくれる人を信じて心を開くんです。
他人からどう思われるか不安に感じる人が必ず通る道
あの人はなんで他人の目を気にせず自己表現できるんだ。
あの人はなんであんなに馴れ馴れしいんだ。
あの人、私のことなめてるから馴れ馴れしいんだろうなぁ。
このように思ったことありませんか?
そうして自分と相手を比較して嫌な気持ちになったあなたは次にこう思うでしょう。
相手を悪者にして自分を守る
距離感近い人無理。嫌い。
あの人調子に乗ってる。外向的な人苦手。嫌い。
あの人空気読めない。人の気持ちわからないのかな。嫌い。
感情を素直に表現できる人は人と喋れない私の気持ちなんてわからんだろうなぁ。
こうやって「相手が悪い」と悪者にして「拒絶攻撃」をするんです。
これらすべて今の内向的な自分を肯定するために相手を悪者にして自分を守る感情です。
自己正当化といいます。
これは私が通ってきた道です。
だから
- 学校のうるさい系の人達
- うぇーい系の人達
- パリピ
- 外向的な人達
- 年上のえらい人達
- よく喋る人
に恐怖を感じたり、敵視したりするようになっていたんです。
素直な気持ちは
他人の目を気にせず自己表現できるあなたが羨ましい
人とフレンドリーに話せるあなたが羨ましい
私もそうなりたい。
なのに。
本心を認めたくないからって相手を悪者にして自分を守る態度をとるのはとてもかっこ悪いと思いませんか?
だから自分の素直な気持ち、相手を攻撃しないでまずは認めて受け入れよう。
その方が圧倒的に強く見えますし、かっこいいと私は思います。
素直な気持ちを伝えられる人の方が強く見えるんだよ。って過去の私に伝えたいです
人目を気にせず意見をはっきり言う人に対する勘違い
私は過去、先にも言いましたが人目を気にせず意見をはっきり言う人に特別恐怖を感じていました。
- 学校のうるさい系の人達
- うぇーい系の人達
- パリピ
- 外向的な人達
- 年上のえらい人達
- よく喋る人
この人がいるところでもし喋ったら、私を攻撃してくるのではないか・・・。悪口を言いふらされるのではないか・・。と。
でもこれは人間の心理を分析していたら勘違いでした。
堂々としている人たちは、最初に目の前の相手が嫌なやつだと決めつけていないから喋れるんだ。
目の前の人たちの事を疑っていないから、自分が攻撃されるなんてこれっぽちも思っていないから、素直に自己表現ができているんだ。
堂々としている人たちは、人を信じている人なんだ!人を信じようと努力をしている人なんだ!
たくさんの人がいるところで喋っている「意見をはっきり言う人」は、人を信じている人なんだ!
だから、私がその人たちを素直に信じて接すれば、私のことを否定なんてしてくるわけない!
他人の目を気にせず堂々としている人は共通して「人を信じている(信じようと努力しているも含む)」から堂々としているんです。
外向的な人は人の気持ちに鈍感だから嫌われていることに気付いていない説に物申す
外向的な人たちは、人の気持ちがわからないから嫌われてることに気づいていない。だから馴れ馴れしい。
って聞いたことありませんか?
私はこれをメンタリストさん経由で聞いたことがあります。
内向的人間は感情が自分の内側に向いていて深く考えられるからすごいんだぞ、だから内向的な自分を卑下しないでね、勇気を持とうね!という意味でこれを言っているのだと思いますが、私は外向的な人については特別こう思っています。
外向的な人たちは、人をこれっぽちも疑っていないからフレンドリーに馴れ馴れしい態度でこれるんだ。
私の事これっぽっちも疑って見ていないんだ!そう考えるととても嬉しくないですか?
このように考えることで外向的な人を敵視するような考えを抑えることができると思うのです。
人目が気になって怖くて発言できない自分を恥ずかしいと思っているから喋れない
他人の目が気になって怖くて発言できない人の特徴に
- だまったままずっと様子を見続けて何も発信しない
- Twitterでリツイートしかしない
- コメント欄を閉じている(コメントに時間割くの大変だから閉じてる場合を除く)
- 誰にも話しかけない
- 喋ってみたものの怖くなってまた何も喋らなくなる
- 鍵アカウント運用しかしていない
私はTwitterをやっているので観察しながらこのようなことまで分析しています。
自分が他人の目が気になって発言できないことを恥ずかしい、悪いことだと思い込んでいるからその状態になるんです。
そして自分が他人の目が怖くて喋れないことを自分自身で認めたくないから必死に隠そうとするんです。
そして他人を「自分に危害を加えてくるやつかもしれない」と決めつけて見ているからそうなるんです。
他人を影で観察しながら「自分はそんな風にできないなー」「この人無理だなー」「この人怖いなー」とか頭の中で被害妄想ばかりしているからどんどんと喋れなく(発信できなく)なるんです。
被害妄想は私が通ってきた道ですのでこの感情にはとても詳しいんです
自分の素直な気持ちを認めて受け入れている人は開き直っている
素直に今の状態を言葉で言えるということは、それを受け入れていることの表れです。
例えば、頭の毛が抜けてしまってハゲてしまった場合、二通りの人がいます。
※決して毛がないことを悪いと言っているわけではありません。想像しやすい例がこれなのではと。
ハゲたことを受け入れられていない人
- 横の毛を伸ばして必死に隠そうとしている
- ハゲというワードに突然だんまりする
- 季節問わず帽子で隠す
ハゲたことを受け入れる&受け入れようとしている人
- スキンヘッドにして堂々とする
- 自身で毛が抜けてることをネタにしている(芸人さんとか)
- 毛が抜けて困ってるんだけどー!だからクリニック通ってみてるんだーと堂々と言っている
受けれている人や受け入れようと努力している人の特徴とはごまかしたり隠そうとしないでオープンにしている態度です。
受け入れるってのは開き直るってことだよ!
○○だけど、だから何か?
というオーラを放っている状態をいいます。
堂々としている人かっこいいですよね!なんで堂々としている方がかっこよく見えるのか生物の仕組みを考えれば簡単です。
堂々としている方が生命力に溢れているからです。
もし仲間になったら、助けてもらえそう!って心理です。
他人の目を気にせず発言できるようにする方法
他人の目が気になって怖くて発言できない人は、まずは自分が他人の目が気になること、そして人がたくさんいると喋れなくなってしまうことを認めましょう。
「私は他人の目が怖くて喋れなくなっちゃうんです!」
と先に暴露してしまいましょう。
暴露している時点で受け入れているから言えちゃうんだ~と人はみんな思うんです。
喋れないこと開き直ってるー!!笑
いいね、応援するよー!
とこたんもそうだったしそういう人超いっぱいいるから味方たくさん増えるよ!!
さらに次に
「素直に自己表現ができるようになることが目標です!」
と言ってしまうことがおススメです。
理由は、自己正当化の心理が働くからです。
「弱みを表に出して言ってしまった&しかも目標まで言ってしまった」この私の行動が正しいと思えないとダメージ受ける!恥ずかしいじゃん!
素直に自己表現をここでしてないと周りから努力してないやん!って思われちゃう!
こうして行動を先に起こせば次第に自然と喋れるようになっていきます。
しかも素直に自己表現ができるように行動まで変わってきます。
あなたの苦手な人を味方につけろ
人がたくさんいると喋れなくなってしまう人は、その場に苦手なタイプの人がいるから喋れないという場合が多いです。
つまり、あなたの苦手な人を自分の味方につければ安心して喋れるようになっていくということです。
具体的な相手を味方に付ける方法は、あなたの苦手な人に自分の悩みを相談することです。
目の前に苦手な人がいて不安を感じてしまった瞬間に今の不安を切り出すのがおススメです。
私、人がいると喋れなくなるんだけどどうしたらいいと思いますか?
打ち明けることで相手があなたを助けてあげようと必死になってくれます。
理由は、頼られると嬉しくて相手を助けてあげたいと思う心理が働くからです。
自分を信じてくれているから悩み事を相談してくれるんだ。
人はそう思うんです。
人間だれしもが深層心理では自分を信じてもらいたくて仕方がないんですよ。
そして、人は自分が助けてあげた相手を好意的に見るようになります。
これも自己正当化です。(あなたを助けた自分の行動が正しかったと思いたい心理)
また、自分が不安に思っていた「苦手なあなたがいると喋れない」を本人に暴露できた安心感で、「ずっと隠していた不安」からも解放されます。
このようにして苦手だった人が自分の味方にもなり、不安感も軽減し、喋れるようになっていきます。
不安に思っていることを隠せば隠すほどあなたは苦しくなる
これでもまだ自分の今の状態を表で言えない人は他人の目を気にして喋れない自分が恥ずかしことでダメなことだと思い込みすぎているからです。
そんなに他人の目を気にするのが得意なのに、そんなに他人からどう見られるか想像力豊かなのに、今の自分の状態を客観視できていないんですか?
言えない。言わないってのは自分でそれを受け入れられてない証拠であり、周りから見ても隠しているから触れたらダメなのかな…と不安にさせる原因の1つになっているんですよ。
それ、周り見てて感じたことたくさんありませんか?
内向的なのを恥ずかしい、発言できないことを恥ずかしい、不安に感じている状態が恥ずかしい、と自分で思っている人は全く行動を起こしません。
観察力の高いあなたはそういう人の不安感、敏感にキャッチしていて見えていますよね?笑
相手が感じた不安感は結局自分に伝わり、余計に今の隠している自分の状態が不安になってますます自己表現ができなくなっていきます。
「隠し続ける(受け入れない)」ことは、自分らしさを発揮できない原因に繋がります。
人は未知のもの(見えないもの、わからないこと、隠されているもの)に不安を感じるんだ!という基本を覚えておきましょう。
自分の素直な気持ちを認めて受け入れた人しか前には進めない
それでも周りに自分の弱みを言うことを不安に感じる人は挑戦しないことの言い訳を必死に頭で考えているだけだと私は思います。
今の変わらない自分でいる方が安心だ。と必死に今の自分を肯定し、行動を起こしません。
そう思っている間は前になんて進めません。
それでいいならそれはそれでその人の人生なのでご自由にと思いますが、ずっと自己防衛に徹して何も行動を起こさないでいるとどんどんと周りに置いて行かれます。
同じように前に進まないで過去に執着している人達が周りにどんどんと集まってますます動けなくなっていきます。
類友だからね・・・。しかもそういう人たちは自分が前に進もうとすると足を引っ張って引き戻そうとしてくるから厄介なんだ。
私は自分の力で自分の環境を変えていきたい。
いい人間関係を作るには、自分自身が前に進んでいないとだめなんだ。
私はそう思ったからこれだけ意見をはっきり言えるようになったんです。
【さいごに】人はみんな他人からどう見られるかを本心では気にしている
どんなに他人の目を気にしていないように見える人でも、実際は根っこから他人の目を全く気にしていない人なんて誰一人としていないと思います。
他人の目を気にしているから
- 化粧をしたり
- 髪を切って整えたり
- 自分をよく見せようといい服を選んだり
外向的な人、ほとんど上記の状態ですよね?華やかに着飾ってたりしますよね?
他人の目、めっちゃ気にしてるじゃないですか。笑
なので、信じようと努力をしている人が大部分なのではないかと考えています。
今の私は努力している側です。
コミュ症を乗り越えるにはこの考えがないと前に進めなかったので、そっち側になりました。
私は今でもネット上や人が多くいる場所で、最初に「人からどう思われるか不安」って人を疑ってしまうことはぬぐいきれません。
なのでこれはもう受け入れて考え方を変えています。
私はこうして受け入れた
- 人からどう思われるか不安を感じられるのは、想像力が豊かで深く物事を考えられるからこそだ
- 人からどう思われるか不安を感じられる方が、客観性を身に付けやすいというメリットがある
- オープンに全部言ってしまうことで受け入れの強化をすることができている(ブログでありのままの自分をオープンにすること)
もし、人からどう思われるか不安という気持ちが湧き上がったら
自分がもしネガティブに思われていたら?と考える
- 被害妄想で私を勝手に悪者にしないで?
- 失礼だな!あたしゃ他人の悪口言いふらす人間じゃありません!
このように考えてから行動を起こすようにしています。
人を信じようと努力して、素の自分を見せるように努力をしています。
あなたのこと全然疑ってないよ!あなたの言ってること素直に信じているよ!だから安心してね!
って過去、私が人から接してもらいたかったように、過去の自分を応援するように・・・人と接するようにしています。
行動した後に返ってきた言葉や態度で委縮することあるでしょ?これもまた、あっ相手のこと疑って失礼じゃん!って思うようにしています。
信じてもらえないってかなりムカつくじゃん!
元コミュ症の私がコミュ症を改善するにあたり一番大事だったと思ったことは
人を自分から信じる努力をすること
でした。
人から疑われたり、ネガティブに決めつけられたり、信じてもらえないだなんてそんな辛い気持ち、私はもう感じたくないんです。
だから自分が人と接する時は、相手を疑ったり、ネガティブに決めつけたり、否定したりせず、ありのままの今のその人を受け入れる姿勢で接するように努力しています。
私の考え方が少しでも参考になれば幸いです。
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