【家庭環境から考察】場面緘黙症を完治させることができた理由

こんにちは!とこたんです。

私は4歳~24歳まで場面緘黙症という特定の場面で喋れなくなる不安障害に悩まされていた場面緘黙症の経験者です。

元コミュ障のとこたんだよ!よろしくね☆

私は両親から家の中ではお喋りなのに、学校等特定の場面で喋れなかったことに一切触れられたことがありません。

  • 通知表を見せる時
  • 授業参観がある時
  • 家庭訪問がある時

この機会はいつもびくびく親の反応をうかがって過ごしていました。

通知表・授業参観・家庭訪問、どれを取っても普段の家の中の私とは真逆の生活を送っているのがわかるはずなのに・・・

そのため、外で人とまともに喋れない事態を一人で抱え込み、自分だけで何とかするしかなく、
結局病院へ一度も通うことなく自力で完治させることとなりました。

この不安障害の完治には約20年かかってしまいましたが、今では

「フリーランスの絵描き在宅ワーカー歴11年(営業ゼロ)」

という立場で仕事にもお金にも人間関係にも苦労なく気楽に過ごせるようになっています。

今回はなぜ親にそれを放置されたのに、場面緘黙症を完治することができたのか。

そのうえ今では安定したメンタルと仕事環境までも手に入れることができた理由を、両親の私への対応を振り返り、家庭環境から考察しようと思います。

※私には不安を拗らせ精神疾患でひきこもりニートになってしまった親族が二人います。私が同じくそうならなかった理由に、元々の性格以外で家庭環境が大きく関わっていたと考えているためこの考察に至っています。

昔のとこたん
  • 家の中でだけはお喋り・よく笑う・コミカル
  • 学校や苦手な人相手だと無表情・無口で暗いと言われていた
  • 住んでいたマンションの子と仲良くなり特定の子とだけ家で毎日遊んでいた
  • 小・中時代はいじめられる・空気のカースト最底辺
  • 高校では無表情で動じずあまり喋らない様子からハイパークールと言われていた
  • 思考が極端で白か黒しかなかった
  • 基本やられたらやり返す!という恨み節だけはあったが小心者でできなかった
  • 普通のおとなしい人に見られることを目標として試行錯誤していた
今のとこたん
  • 元アニメ業界出身の35歳
  • 背景イラストを描く専門のフリーランス(会社員時代5年+フリー11年目)
  • 貯蓄3500万以上
  • バツイチ子無しの独身一人暮らし
  • 遠く離れて住む友達が何人かいる
  • メンタルの浮き沈みがほとんどない
  • 基本穏やかな表情してる
  • 筋トレが習慣化していて立ちながら絵を描ける
  • 食べ物から人まで好き嫌いがほぼない
  • 人を見る時育ちのバックグラウンドまで想像するので何も否定する気持ちが起きない
  • 自己肯定感が高く悟りを開くことを目標として生きている

場面緘黙症や繊細なお子さんを持つ子育て中の方に何かしら参考になれば、という思いで記事にしています。

スポンサーリンク

両親のスペック

私の両親は、二人ともとても真面目でおとなしい性格です。

私は専業主婦で常に家にいた母の影響をとても受けて育ちました。

  • 専業主婦
  • 酒・たばこ一切しない
  • ギャンブルしない
  • 国立大学/数学部中退
  • 読書・猫好き
  • 母親が死別再婚の家庭育ち
  • 3人兄弟の長女
  • 転勤族サラリーマン
  • 酒・たばこ一切しない
  • ギャンブルしない(株はしてた)
  • 国立大学/法学部卒
  • 歴史・神社好き・何ヵ国語か喋れる
  • 6歳で実母に手放され再婚母の家庭育ち
  • 4人異母兄弟の長男

生まれた時から私のおばあちゃん二人とも血縁関係ないおばあちゃんだったよ☆
父方は18の時に初めて事実を知ったけど。
おばあちゃん、二人とも優しくしてくれた!私の本当のおばあちゃんなんだ!
だから血縁関係とかも気にならないんだ!

母親の対応

母は私が外で喋らないでじっとしていても、無表情で過ごしていても、その様子について何か声を掛けてくることが一切ありませんでした。

それは母も過去「場面緘黙症」であり、母自身が大人になったら治ったからとこたんも大丈夫だろう。

と楽観視していたからです。

結果的には、その通りでした。笑

しかし親になんて思われているか不安すぎて、喋れないことが悪いことなんだ!と思い込まされてしまったため、なかなか治らず、結果私の10代はほとんどが暗黒時代・・・

子ども時代の1年がいかに大人の1年とくらべると体感で長く感じるか!
ということも配慮していただきたく!

母に不安な感情を完全無視されていたことに私は怒りを覚えたため、20代半ば~30代前半までは母に対する恨みの感情に支配されていました。

おかあさんのポジティブ押し付けないでくれるかな?
とこたんは小さい頃からネガティブで絶望してたじゃん!見ててわかるじゃん!

私の母に関しては別記事で書いていますので詳しくはそちらをご覧ください。

幼児期までの母の私への対応

  • ご飯を全部食べるまで終わらせない
  • 食べてる最中に寝ると「とこたん起きてさっさと食べなさい」と静かな口調で無表情で怒られる
  • お味噌汁を食べてる時にひっくり返すと「あ~あ。さっさと拭きなさい!」と無表情で怒られる
  • 友達の家でおやつを食べたこと言ったら「夕飯が食べられなくなるでしょ」と無表情で怒られる
  • ご飯全部食べなかったらおやつ無しだよと無表情で脅される
  • 突然体中痣だらけになったのを見せたら、無表情で何も声を掛けられず病院へ連れていかれる(紫斑病)
  • 幼稚園にみんなはバスで行くのに自分一人だけ歩いて通わされていた(歩く?と聞かれたけど断れないからうん。って言っただけだし)
  • 通園途中に度々野良犬に襲われていたが母は犬を追い払うだけで私に声を一切かけない
  • 3学年下の妹に対しては「いつまでも小さくみえるね~」と名前を呼んで可愛がっていた!

とこたん思い出しながらちょっとキレてる。笑

右がとこたんです。妹のことは好きですが、母は妹を可愛がってると思っていたので内心キレてました。笑

ネガティブな対応を思い出していますが、次は母の良かった対応です。

  • 襖に絵を描いても一度も怒られなかった
  • 折り紙を教えてくれてよく色々作っていた
  • お手玉を作ってくれて遊んでくれた
  • 絵本を借りに行く習慣があった
  • 質問したら必ず手を止めて答えてくれていた
  • 基本、上手だねとかよくできたね、とか褒め言葉は一切言わないが、集中して取り組んでいる時に邪魔してくることも全くなく、ずっと静かに近くで本を読んで過ごしている母だった

とこたんの集中力が高まったのは、母に口出しとか邪魔をされたことが一度もないからなんだ

父親の対応

父もまた、私が外で硬直していても特に何か声を掛けてくることも全くありませんでした。

父が私の外での様子を知るのは通知表と運動会の観覧時のみ。

通知表では「無口」と書かれることが度々あり、運動会ではいつも私は無表情で周りの子とも喋りません・・・きっとただの人見知りで緊張しているだけだ

と父は思っていたのでしょう。

なぜなら父もまた、内向的でおとなしいタイプの人だからです。

幼児期までの父の私への対応

私は小さい頃、父のことが大好きでした。

母とは違いよく笑ってくれるし、怒ることもなく優しかったからです。

幼児期の父に対してのネガティブな記憶は、なんと一切ありません。

  • 私のことを可愛がってくれてたようにとても感じた
  • 夜は机に向かって英語の辞書を開き勉強していたところを見ている
  • 怖い夢をみて泣いて目が覚めたことを父に報告したら向き合って優しく話を聞いてくれた
  • 優しい声をしている

ネガティブな記憶がないのでポジティブな記憶もあまり思い出せません・・・笑

とこたんの母の共感力のなさを父がカバーしていたんだよ。共感力、父の方がある。

大体いつも動きだけはコミカル。とこたん4歳の時

墓の前でも不謹慎にコミカルでした。(このくらいの性格だったのに、学校等に行くと無表情で無口で固まってました)

小学生時代の母の対応

小学生時代の母の対応はネガティブな記憶が大半です・・・

  • 算数ができない!と騒ぐと教えてくれるはいいが、教えても私が理解できないので
    「とこたんは読解力がないんだよ」
    「そんなこともわからないの?」
    「何がわからないかわからない。笑」
    等言われてショックを受け続けていた
  • 定食スタイルで食べる量が全部決められていて自由が全くなく強制的に食べさせられている感覚だった
  • そのせいで食事が楽しいと思ったことがなく、食事=栄養摂取という感覚に
  • くよくよしていると「ぐちぐちうるさい!」と無表情で怒られる
  • ネガティブなことを言うと考えすぎだと怒られる
  • 通知表を見せた後・授業参観の後・家庭訪問の後は特に無言で無表情となり、私に何も声を掛けてこないため、普段の学校の自分の様子がいかにダメなことなのか…とどんどんと不安になり、自己肯定感も下がっていった
  • 家の中ではいつも明るくうるさいコミカルキャラだったので、天才てれびくんを見ている時に
    「元気な子募集~」のところで、私かな?と言ったら
    「どこが」と無表情で嫌味を言われた(怖)
  • 小学3年生頃から視力が落ち始め、眼鏡を作られたのだが学校で眼鏡ケースをカバンから出すことができずずっと眼鏡を掛けられなかった
    それを家庭訪問で眼鏡かけてない話を伝えられて知っていたためか、私が家の中で天の川を見るため眼鏡を掛けて騒いでいたら無表情でじとーっと圧をかけられた(怖)
  • お小遣いを小学5年生で初めて貰えた・・・遅い!(お年玉も)

思い出せば出すほど母が怖い・・・何考えてるかわからないから怖すぎるんだ・・・
もっとあるけどもうこの辺にしとく笑

次は母の良かった対応です。

こんなにネガティブな記憶が多いのですが、よくよく考えると母の対応はなかなかよかったのでは?と考えています。

  • 絵で賞を取るたびに全く褒めてくれないが、賞状をクリアファイルに集めて大事にしてくれた
  • 学校で描いた作品を持ち帰ると全く褒めてくれないが、絵をリビングに飾ってくれていた
  • 写真をアルバムに貼って作ってくれていて成長ごとに私のアルバムが増えていった
  • 勉強がわからない!と騒ぐと必ず「貸してごらん」と教えてくれようと向き合ってはくれた
  • 欲しいものは誕生日とクリスマスのサンタさんだけと決められていたので、その日のために真剣に欲しいものを考えていたし自制心もついた
  • サンタさんへ「ビー玉あげます」と紙に書いてビー玉を置いておいたらちゃんとなくなっていた
  • 土日や長期休暇は友人の自宅に早朝からあそぼ~と電話をかけていたが一度も親から注意されたことがない
  • お小遣い帳を買ってもらったので自分のお金がマイナスにならないようにしっかり管理するようになった(妹は小2からお小遣いもお年玉も貰っていたので、私より早くにお金たくさん増えるじゃん!というライバル心理から、使わないで貯めることが身についてしまった・・・)

褒めてくれないけど絵を飾ってくれるから絵に対しては少し自己肯定感高まってきた!
そして特定のお友達を作るスキルも何も口出しされないから付いていったんだ!

20代の時実家に帰省した際に隠し撮りした実家の写真です。まだ絵を飾ってくれています。

小学生時代の父の対応

私が小さい頃は父は私のことを可愛がってくれていました。

しかし、小学生時代も後半になってくるとだいぶ対応が変わってきます。

それでも父の対応は母の共感力のなさをカバーし続けてくれていたと思っています。

  • 私が絵で賞を取ると褒めてくれ、掲載場所に観に行こうと連れて行ってくれた
  • 長期休みはいろんなところに連れて行ってくれた
  • タイに住んでいた期間があるため、近くのカンボジアに旅行ができ、手足のない子が乞食としてお金を望むビジネスなんて光景を目の当たりにしたりと様々な体験をさせてもらえた
  • タイの海ではいつも一緒に大きな穴を掘って遊んでくれた
  • 金魚の真似がうまくて「やって!」と頼むとよくやってくれていた
  • 父はコミカルなところがあってよく笑わせてくれた

海外で3年半過ごした経験が結構よかったかもしれない。
学校には一人も友達いないし全く喋れなかったけど・・・

小学5年になってきたころから父の残念な発言が目立つようになってきました

  • 私が家の中でうるさくしているとよく「小さい頃はあんなに可愛かったのに・・・」と過去の私と比べて大げさに残念がる

お父さんずっと好きだったし可愛がってもらってたのわかってたから、
今はもう私のこと可愛くないんだ・・・って絶望してた・・・

中・高時代の母の対応

母はだんだんと無表情から穏やかな表情に変わっていっていました。

それは私が小学生時代は落ちこぼれていたのに、中学入学とともに勉強で落ちこぼれることが全くなくなったからだと思っています。

しかし通知表を見せる時や家庭訪問、授業参観の時だけは相変わらず怖い表情をしていました。(中学)

  • 家庭訪問で私が学校で喋らないことを話されても「家で喋ってるので大丈夫ですー」と言い切ってドアを閉めていた
  • 通知表で「無口」と書かれていても何も触れないし感想さえ言わない
  • 生理が始まったのをお知らせしたらちゃんと生理用品を用意してくれていたがそれ一度きり。
    何も準備してもらえず、それ以降どうしたらいいかわからずずっとティッシュで乗り越えてきた(え?)
  • 周りは紐ブラなのに私はいつまでもスポブラを買い与えられ続けていた
    制服や体操服から浮き上がるシルエット的に大変恥ずかしい思いをしていた
    (女子生徒からからかわれてました・・・)

ネガティブな思い出はこのくらいでした。

逆に母の良かったところは沢山あります。

  • エレクトーンを爆音で弾いてたのに一度もうるさいと言われたことがない
    そのため外から「うるさーい!」と大声で怒鳴られ音に注意するようになった
  • 毎日のように友達が家に来て騒いでいても母は何も文句を言わないので家が遊び場として定着していた
  • 家に友達が来ても母はおもてなしなど一切しないので私が勝手に冷凍庫からアイス出したりとふるまっていた
  • 相変わらずずっと本を読んで静かに過ごしている母
  • 市民図書館に本を借りに行く習慣があった
  • 高校から猫を飼うことを許可してくれたので家に猫がいる生活になりメンタルにいい影響を与えた
  • 家に居る時に勉強しなさいとか何してる?とか一度も言われたことも聞かれたこともない
  • 元数学部の母に数学のわからない問題を教えてと言いながら解いてもらっていた(私の物理的に甘える戦法がこれだった)
  • 「どの学校に入っても結局は本人の努力次第だ」と母がよく言っていたため
    「頑張れば私だってできるはずだ」という信念が身に付いて頑張るようになった

基本、私がやることには一切口も挟まず文句も一度も言われたことがない。
ずっと自由にさせられていた!THEステキな放置☆干渉ゼロ☆

最終的には3匹になりました(現在は左の1匹だけになってます)

中・高時代の父の対応

父はほとんど家にいませんでした。

単身赴任でずっと中国・台湾に行っていたので長期休暇でたまに帰ってくる程度で存在感はありませんでした。

  • 帰ってきた時は父に「テスト問題を出して!」と言って勉強で構ってもらっていた
  • リビングではいつも私の隣に父が座っていたのでよく父の手をマッサージしてあげていた
  • 高校の時に父の住む台湾に旅行で行けた

父がずっと海外赴任だったので、現地の人と触れ合う機会もあり、アジア人=みんな友達メンタルが身について差別意識が全くありません。

専門時代の母の対応

私がアニメの専門学校に入学してから、母の対応はとてもよくなっていきました。

  • 私が描いた絵を見せて「ねぇ上手いでしょ?」と聞くと「うん」と言ってくれる
    (一切褒めてくれないから諦めて自分から言わせるように仕向けてた)
  • 私のお気に入りのボンボン付きニット帽が猫に食べられてボロボロになったのを泣いて悲しんでいたら母が修復してくれた
  • ネックレスのチェーンがこんがらがってうわーーー!!!ほどけない!とキレてると「かしてごらん」と言って時間をかけてほどいてくれる

等々、私が何か困って騒いでいれば必ず物理的には助けてくれるという母だったので小さい頃は絶望感だけだったメンタルも、だんだんと落ち着いてきていました。

とこたん、基本家で騒がしい。笑

専門時代の父の対応

父は相変わらず海外赴任で家にいませんでした。

専門時代は最後の家族旅行をした記憶だけあります。

  • 再びタイ・初のヨーロッパでイギリスとフランスへ
  • ルーヴル美術館でたくさん絵を観れてよかった

父のおかげで様々な国に訪問する経験を得られたので満足しています。
この経験で満足してしまったせいか、逆に大人になってから海外に全く興味が湧きません・・・

海外旅行とかめんどいから嫌。日本でいい。日本がいい。

社会人になってからの両親の対応

私は20歳から東京で働くことになり、自立しました。

両親は、というと

  • 私の携わったアニメを観てくれていた
  • 私が当時好きだったアニメ作品「蟲師」をCD‐Rに録画してわざわざ送ってきてくれていた
  • 毎日メールを一通やり取りするメル友みたいになっていた(いつも猫の様子をお知らせしてくれた)
  • 自分の人生なんだから自分の好きなようにすればいいとよく言っていた
  • クレジットカードを持たされていた(クレジットカード決済が普通という感覚はそれでついていた)
  • 20万円だけ入った私名義のゆうちょ口座を持たされた(一度も使ったことはない)
  • アニメ業界で働いている期間、一度も援助はされていない(以降も全放置)

  • 中国赴任でいなかったから存在感がない
  • 途中から日本に戻ってきて、地元に帰省したら父がいたけど存在感なくて思い出ない
  • 家の中で母から何も干渉されないので自分の趣味にずっと没頭してる人でした

とても穏やかでいい関係だったと思います。

両親の対応のまとめ

母の基本対応
  • 何してる?なんて干渉一切なし
  • あれしろこれしなさいと指導一切なし
  • 社会生活で必要なことは何も教えない
  • 栄養管理等生命維持のお世話だけ徹底していた
  • 助けて!とSOSを発信さえすれば物理的なことなら助けてくれる
  • 感情に寄り添う発言は一切なし(共感の言葉かけが残念ながらゼロでした)
父の基本対応
  • 幼少期から小学4年までは可愛がってくれた
  • 休みの日はいろいろなところに進んで連れて行ってくれた
  • 父は自分自身の趣味に没頭しているため、基本他人には興味がない
  • 母と同様干渉してこない
  • ほとんど家にいなかったので記憶にない。笑

つまり、私は専業主婦で常に家にいた母親の影響を大きく受けて育ったというわけです。

物理的なサポート、そして穏やかな両親の元で私は確かに比較的安定したメンタルの大人に育ちました。

しかし、母親の幼児期・小学時代の「共感の言葉掛けをされることがゼロ」が原因で私は不安な気持ちに敏感になり、不安を拗らせ、場面緘黙症を長引かせてしまった。と考えています。

不安感情の無視はほんとキツイ・・・超不安になるもん・・・
これが「不安になることが悪いことなんだ」って思い込まされる原因だったよ!

何考えてるかわかりにくいって言われる人は要注意だよ。笑

過去とこたんも無表情無口で相手を不安にさせてたから気を付けるようにしてるんだ。

ちなみに現在でも母は何を考えているかわからないので

私・妹・父は、母からの否定と拒絶を恐れ、何も聞けない&触れられない状態が続いています。笑

数年前「お母さん星野源に似てるって言われたことない?似てると思うんだけど!」てメールしたら完全無視されたよ?笑

また、基本的に放置で一切干渉してこないので、

  • 自分の頭で考えて生きる力がついた
  • 完全に精神的にも親から自立した
  • 全て自分の意思で動いてきた経験しかないのでそれが自信に繋がった
  • 様々な困難を自力で乗り越えてきた分、自信がついた
  • 芯が強く育った
  • 自分の好きなように生きられている

こうして年を取るにつれて、自己肯定感が高まっていきました。

20代は周りの友達と比べてしまい、親からの干渉が一切ないことが寂しく、愛されていないんじゃないかと絶望したこともありました。

しかし現在は、このような安定したメンタルに自分が成長できたことは

親が静かに見守ってくれていたからだ

と思えるようになりました。

私は親が意図してこのような対応をとっていたとは思いませんが、

これは親の子育て戦略だったのでは!?と今では思っています。

さいごに

私が20年間場面緘黙症で困難な状況に陥っていても、その状況に負けず、乗り越え、完治させることができ、さらには安定したメンタルと仕事環境まで手に入れることができた理由は

親に何も干渉されず静かに見守られていたから

だと考えています。

私の両親は私が失敗する経験を一つも奪わなかった。とも言えます。

世の中、過干渉な親が多い中、こんなに干渉せずいられる親はレアなのではないか?
うちの両親すごすぎ・・・

とさえ思っています。

そう思うことでまた、30代も半ばになり、ようやく親に感謝できるようにもなりました。

この記事では詳しく書いていませんが、私の両親は家庭環境が複雑で子どもの頃はとても辛い思いをして過ごしてきた夫婦です。

きっと、当時辛い思いをした経験から、自分の子には自分たちが感じてきた辛い思いをさせたくない。

と経験から学んで、それを活かして私と妹を育ててくれたんだと思います。

母がきっちり定食スタイルでご飯を欠かさず作って出してくれていたのも、もしかしたら子どもの頃自分の母親が病気でそれがままならなかったからなのかもしれません。

両親がお酒を一滴も飲まないのも自分の親がアルコールが元で失敗しているからなんだと思います。

私は両親がそうやって子どもの未来を良くしようと経験から学んで接してきてくれていたことにとても感謝しています。

私には子どもはいませんが、もしいつか子どもを持つ機会が訪れた時は両親の対応から学んだことを活かして子どもに接したいと思っています。

子どもがいなくても、今まで学んできた経験を身近な対人関係に活かしていこうと思っています。

そうやって、人間は失敗から学ぶので、世代更新する度にどんどんとパワーアップしていくんだな。

なんて考えて人類の発展にロマンを感じたりもしています。笑

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!

とこたん、20代から悟り開くこと目標にしてたんだけど、なんだか開けそうだよ☆

私の考察がサンプルとなり、また誰かの考察の元となれば嬉しいです。

コメント